--- 新聞內文簡譯 by 洛 ---
這個Miyoko婆婆在第二次世界大戰時,因為戰爭而被迫與愛人Takeo分開,Takeo與Miyoko約定會平安回來。出征後,他們只見過一見,但那次亦是二人最後的一面。分別後Miyoko發現自己懷了Takeo的骨肉,但Takeo並不知道Miyoko懷孕的事,就因為被美軍突擊而戰死離世。骨肉誕下之後,Miyoko收到了Takeo的死亡通知書,被告知Takeo大概是戰死在沖繩的阿嘉島上,但詳情並不清楚。
Miyoko婆婆希望知道自己最愛的人經歷過的盡頭是怎樣,於是托友人查探,最後終於找到知道當年知道Takeo所屬小隊如何被突擊和收容了Takeo遺體的人,知道了Takeo最後的一段經歷。
Miyoko婆婆和當年誕下的女兒,為Takeo奉上一柱清香,合什跟Takeo說她很健康精神,還請Takeo繼續看守著她。
Miyoko婆婆說:「了解到最後發生了怎樣的事,讓我感受到Takeo的存在。希望從此不會再發生一些足以摧毀一生的戰爭。」
--- 新聞原文 ---
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110120-OYT8T00056.htm
戦死の地探訪 婚約者に報告 阪南の貴志さん
「娘と元気に生きています」 島民の記憶や記録から「最期」も分かる
第2次大戦で婚約者を亡くした阪南市の主婦、貴志美代子さん(85)が昨年12月、婚約者の戦死場所を探し出し、長女と共に沖縄県座間味村にある阿嘉島を訪れた。貴志さんは出征直前に長女を身ごもったが、婚約者は娘の存在を知らぬまま、帰らぬ人となった。知人の協力で島内に婚約者の最期を知る住民が見つかり、訪問が実現。貴志さんはその場所で「残してくれた娘と共に元気に生きています」と手を合わせた。(神谷次郎)
貴志さんは和歌山市生まれで、18歳の頃に近所の知人の紹介で同市内に住む高井武雄さん(当時30歳)と出会い、婚約。2、3回、映画や食事に出かけ、誠実な人柄にひかれて早く幸せな家庭を築きたいと思っていた。
1944年1月頃、高井さんは召集された。貴志さんは、別れを告げるため、高井さん宅を訪問。高井さんは「無事に帰ってくる」と約束してくれた。出征後は、府内の兵舎で1度だけ顔を見たが、これが最後となった。
貴志さんは、高井さんとの長女・大西武子さん(66)を身ごもり、出産。だが高井さんに手紙を出しても返事は来なかった。45年1月頃、死を覚悟したのだろうか、高井さんは鹿児島県から、時計などの所持品を実家に送ってきた。そして、終戦直前、戦死を知らせる通知書が届いた。
当時の資料で戦死場所は阿嘉島であることは判明していたが、詳しい場所まではわからず、貴志さんは「最愛の人の最期を知りたい」と思い続けていた。
そんな気持ちを知った知人の主婦大野芳枝さん(70)(貝塚市)が協力。大野さんは親戚の戦死場所を沖縄県で探した経験があり、つてをたどって調べたところ、島内に当時の様子を知る垣花武一さん(80)が住んでいることがわかった。
貴志さんらは12月下旬、沖縄本島から西方約40キロの洋上に浮かぶ島を訪れた。
垣花さんによると、45年3月26日夜、高井さんが属する隊は、米軍の陣地に突撃し、隊員60人のうち16人が銃撃されて死亡。その1人が高井さんだった。16人の遺体を収容した垣花さんの記憶や記録から判明した。
その場所は、民家の前の舗装された道路になっていた。貴志さんは長女と共に「元気でいます。これからも見守ってください」と手を合わせ、線香を上げた。
貴志さんは「最期がわかり、高井さんの存在が近く感じられた。人生を切り裂いてしまう戦争は二度と起こってほしくない」と話した。
(2011年1月20日 読売新聞)