2011年1月19日 星期三

肉體的離別,精神的連繫

今天看《読売新聞》看到下面這單新聞,尤如電影的情節。想起剛上過那堂Live Counseling Demonstration。死是肉體的離別,但精神的連繫,然而愛超越時空,沒有變質,正是緒法空相。

--- 新聞內文簡譯 by 洛 ---

這個Miyoko婆婆在第二次世界大戰時,因為戰爭而被迫與愛人Takeo分開,Takeo與Miyoko約定會平安回來。出征後,他們只見過一見,但那次亦是二人最後的一面。分別後Miyoko發現自己懷了Takeo的骨肉,但Takeo並不知道Miyoko懷孕的事,就因為被美軍突擊而戰死離世。骨肉誕下之後,Miyoko收到了Takeo的死亡通知書,被告知Takeo大概是戰死在沖繩的阿嘉島上,但詳情並不清楚。

Miyoko婆婆希望知道自己最愛的人經歷過的盡頭是怎樣,於是托友人查探,最後終於找到知道當年知道Takeo所屬小隊如何被突擊和收容了Takeo遺體的人,知道了Takeo最後的一段經歷。

Miyoko婆婆和當年誕下的女兒,為Takeo奉上一柱清香,合什跟Takeo說她很健康精神,還請Takeo繼續看守著她。

Miyoko婆婆說:「了解到最後發生了怎樣的事,讓我感受到Takeo的存在。希望從此不會再發生一些足以摧毀一生的戰爭。」

--- 新聞原文 ---

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110120-OYT8T00056.htm

戦死の地探訪 婚約者に報告 阪南の貴志さん
「娘と元気に生きています」 島民の記憶や記録から「最期」も分かる

第2次大戦で婚約者を亡くした阪南市の主婦、貴志美代子さん(85)が昨年12月、婚約者の戦死場所を探し出し、長女と共に沖縄県座間味村にある阿嘉島を訪れた。貴志さんは出征直前に長女を身ごもったが、婚約者は娘の存在を知らぬまま、帰らぬ人となった。知人の協力で島内に婚約者の最期を知る住民が見つかり、訪問が実現。貴志さんはその場所で「残してくれた娘と共に元気に生きています」と手を合わせた。(神谷次郎)

 貴志さんは和歌山市生まれで、18歳の頃に近所の知人の紹介で同市内に住む高井武雄さん(当時30歳)と出会い、婚約。2、3回、映画や食事に出かけ、誠実な人柄にひかれて早く幸せな家庭を築きたいと思っていた。

 1944年1月頃、高井さんは召集された。貴志さんは、別れを告げるため、高井さん宅を訪問。高井さんは「無事に帰ってくる」と約束してくれた。出征後は、府内の兵舎で1度だけ顔を見たが、これが最後となった。

 貴志さんは、高井さんとの長女・大西武子さん(66)を身ごもり、出産。だが高井さんに手紙を出しても返事は来なかった。45年1月頃、死を覚悟したのだろうか、高井さんは鹿児島県から、時計などの所持品を実家に送ってきた。そして、終戦直前、戦死を知らせる通知書が届いた。

 当時の資料で戦死場所は阿嘉島であることは判明していたが、詳しい場所まではわからず、貴志さんは「最愛の人の最期を知りたい」と思い続けていた。

 そんな気持ちを知った知人の主婦大野芳枝さん(70)(貝塚市)が協力。大野さんは親戚の戦死場所を沖縄県で探した経験があり、つてをたどって調べたところ、島内に当時の様子を知る垣花武一さん(80)が住んでいることがわかった。

 貴志さんらは12月下旬、沖縄本島から西方約40キロの洋上に浮かぶ島を訪れた。

 垣花さんによると、45年3月26日夜、高井さんが属する隊は、米軍の陣地に突撃し、隊員60人のうち16人が銃撃されて死亡。その1人が高井さんだった。16人の遺体を収容した垣花さんの記憶や記録から判明した。

 その場所は、民家の前の舗装された道路になっていた。貴志さんは長女と共に「元気でいます。これからも見守ってください」と手を合わせ、線香を上げた。

 貴志さんは「最期がわかり、高井さんの存在が近く感じられた。人生を切り裂いてしまう戦争は二度と起こってほしくない」と話した。
(2011年1月20日 読売新聞)



2011年1月5日 星期三

偽日本料理

今年又再一次看到有關香港飲食集團投得「日本一」藍旗吞拿魚的新聞。

人類以其他動植物為食物是自然定律,但為何偏偏要選擇瀕臨絕種的品種呢?又不是沒有其他可供食用的吞拿魚品種。人類往往忘記自己是自然界的一部份,極度濫用自然界資源,迫逼瀕危的物種,一切一切都讓自然界失去平衡,也破壞了人類和其他生活並存互惠的關係。

請那些集團別再跟我說他們是甚麼日本料理達人。若說日本的傳統文化,包括料理文化均是十分尊重自然界的一切事物,即使是食物也會視為自然界(上天)給予的一種恩賜,所以日本人會稱海裡面的漁穫和山上的食材分別為「海の幸」(海的恩睗)和「山の幸」(山的恩睗)。將上天給予的恩賜,盡力將其造成最好的料理,這才是對食材的一種尊種。不尊重食材的人枉為料理長,如果大家小時候有看「味吉陽一」卡通片,味將軍最後敗給陽一的原因,就是這個原因~!!! 這種我稱為「偽日本料理」的日本料理店,對日本料理不明所以,靠著舖面日式的裝潢,虛有其表的菜式去提供「日本料理」,在香港建立「偽日本料理飲食文化」,實在是對本來的日本料理的一種極大侮辱。

當看到「日本一」的新聞,心裡面只浮了一個字出來 ─ 「孽」。既是孽,又是業。自作業,不可活。大概到那集團的負責人自己或其集團,有如那些藍旗吞拿魚被他人屠殺時,他們才會明白被人落井下石、雪上加霜的感受。